富める子貢

子貢しこう曰く、貧にしてへつらうことなく、富みておごることなくんば如何と。子曰く、可なり、未だ貧にして楽み、富みて礼を好む者にかざるなりと。子貢曰く、詩に云う、せつするが如く、するが如く、たくするが如く、するが如しとは、其れれを之れ謂うかと。子曰く、や、始めてともに詩を言うべきのみ。れにおうを告げて、らいを知る者なりと。

――学而篇――

 子貢は、その日、大きく胸を張って、腹の底まで朝の大気を吸いこみながら、ゆったりと、大股に歩いていた。彼は、このごろ、いい役目にありついて、日ましに金廻りのよくなって行く自分のことを考えて、身も心もおのずと伸びやかになるのであった。
先生は、顔回の米櫃の空なのを、いつも讃められる。そして、天命をまたないで人為的に富を積むのを、あまり快く思っていられないらしい。(ア)、腕のある人が、正しい道をふんで富を積むのが、何で悪かろう。①自分に云わせると、貧乏はそれ自体悪で、富裕は善だ。第一、金に屈托がないと、楽々と学問に専念することが出来る。それに、何よりいい事は、誰の前に出ても、平生通りの気持で応対が出来ることだ。貧乏でいたころは、どうもそうは行かなかったようだ。)
 彼は、数年前までの、苦しかった時代のことを思い出して、何度も首を横にふった。
②あの頃は、貴人や長者の前に出ると、変にぎごちなく振舞ったものだ。むろんそれは、自分の貧乏ッたらしい姿を恥じたからではない。そんな事を恥じるほど弱い自分でもなかったようだ。その点では、子路にだって負けないだけの自信を、自分もたしかに持っていた。ただ、自分は、少しでも相手に媚びると思われたくなかったのだ。貧乏は仕方がないとして、そのために物欲しそうな顔付をしているように見られたら、それこそおしまいだし、かといって、礼を失するような傲慢な真似も出来ないので、つい物腰がぎごちなくならざるを得なかったのだ。今から考えると不思議のようだが、貧乏という事実がそうさせたのだから仕方がない。やはり貧乏はしたくないものだ。)
(それにしても――。)
 と、彼は急に昂然と左右を見まわしながら、心の中でつぶやいた。
(とにかく自分が何人にもへつらわなかったことだけは、まぎれのない事実だ。この点で自分は貧困に処する道を誤らなかったと公言しても差支えあるまい。先生だって、恐らく③それを許して下さるだろう。)
 彼はいつの間にか、孔子の家のすぐ近くまで来ていた。
 見ると、門の外に、三人の若い孔子の門人たちが、うやうやしい姿勢をして立っている。彼等は、丁度門をくぐろうとしていたところに、子貢の姿を認めたので、わざわざ歩みをとどめて、彼を待っていたものらしい。三人とも、数年前の子貢と同じように、ごく貧乏な人たちばかりである。
 三人は、子貢が彼等のまえ二間ほどのところに近づくと、弟子の礼をとって、いとも④いんぎんにお辞儀をした。子貢も、殆どそれに劣らないほどの丁寧さで彼等にお辞儀をかえした。そしてほんの数秒間、途を譲りあったあと、先輩順に門をくぐることにした。子貢がその中の大先輩であったことはいうまでもない。
 門をくぐり終えて子貢は考えた。
先生はかって、貧乏で怨まないことと、富んで驕らないこととでは、貧乏で怨まないことの方が難かしいと云われたが、必ずしもそうとは限らない。富んで驕らないことの方が却ってむずかしいとも云えるのだ。(イ)、いずれにしても自分は大丈夫だ。現にたった今も富んで驕らないことを事実に示すことが出来たのだから。)
 堂に上った時の彼の顔は、⑤太陽のように輝いていた。彼は、自分ながら、自分の顔をまぶしく感ずるくらいであった。(ウ)、みんなの集るいつものうす暗い室にはいると、多くの弟子たちの顔が、青白い星のように、ちらちらと彼の眼の下にゆれていた。(エ)、彼は、孔子が未知の世界そのもののように、端然と正面に腰をおろしているのを見ると、少しあわて気味に、型どおり挨拶をすまして、自分の席についた。
 彼のあとについてはいって来た三人も、隅っこの方に、それぞれ自分達の席を定めた。
 前からのつづきらしい礼の話が、それから一しきりはずんだ。今日は、ごく自由な座談会めいた集りだったためか、孔子は別にまとまった話をしなかった。むしろ、みんなのいうことに聴き入っているという風であった。(オ)、誰かの言葉に少しでも⑤上ずったところや、間違ったところがあると、孔子は決してそのままには聞き流さなかった。彼の批判はいつも厳しかった。その厳しさは、(カ)ふんわりと彼の愛を以て包まれていた。
 子貢は、言論にかけては、孔門第一の人であったが、今日は不思議にも□□を守っていた。第一彼は、人々の語をあまり注意して聴いてはいなかった。彼の心は、今日途々考えて来たことを、うまい言葉で披瀝して見たい考えで一ぱいだったのである。
「子貢は珍しく默っているようじゃな。」
 孔子が、とうとう彼を顧みて云った。
 子貢は虚をつかれて、一寸たじろいたが、⑥すぐ、この機を逸してはならないと思った。彼はこれまで、自分の意見に少しでも不安なところがあると、先ず孔子一人だけの時にそれを述べて、批判を乞うことにしていた。それは、多くの門人たちに、自分のつまらぬところを見せたくなかったからである。しかし、今日の彼は、十分自信にみちていた。自分の考えは実行に裏付けられているという誇があった。孔子の助言なしに完成した自分の意見を、孔子をはじめ沢山の門人たちに聴いてもらう愉快さを思って、彼は内心得意にならないではいられなかった。彼はそれでも、
「私は、只今の皆さんのお話が一応すみました上で、少し別のことについて、先生のお考えを承りたいと存じておりますので……」
 と、自分を制しながら答えた。
「そうか。……なに、もうそろそろ話題をかえてもいい頃だろう。」
 子貢は嬉しかった。彼は、しかし、すぐには口を切らなかった。得意になっている様子を人々に見せてはならない、と思ったからだ。
「一たい、君の問題というのは、何かね。」
 孔子は、もう一度彼をうながした。そこで子貢は立上って、彼一流の爽やかな口調で云った。
「私は、このごろ、貧富に処する道について、多少考えもし、体験も積んで来たつもりでありますが、貧にしてへつらわず富んで驕らないというのが、その極致で、それが実践出来れば、その方面にかけては、先ず人として完全に近いものではないかと存じます。」
「いや、それこそさっきからの話の礼と密接な関係をもった問題じゃ。……で、君にはそれが実践出来たというのか。」
「それは、先生はじめ皆さんの御判断にお任せいたします。」
 子貢は、しかし、自信たっぷりな面持だった。そして、さっき彼と一緒に門に入って来た三人の青年に、そっと視線を向けた。
「なるほど、貧富共に体験をつんだという点では、君は第一人者じゃな。」
 子貢の耳には、孔子のこの言葉は、一寸皮肉に聞えた。しかし、孔子がみだりに皮肉をいう人でないことを、彼はよく知っていたので、次の瞬間には、それを自分が讃められる前提であると解した。
「君が、⑦貧にしてへつらわなかったことも、富んで驕らないことも、わしはよく知っている。」
 そう云った孔子の口調は妙に重々しかった。子貢は、讃められると同時に、撲りつけられたような気がした。
「それでいい。それでいいのじゃ。」
 孔子の言葉つきはますます厳粛だった。子貢は、もうすっかり叱られているような気になってしまった。
「だが――」と孔子は語をつづけた。
「君にとっては、貧乏はたしかに一つの大きな災いだったね。」
 子貢は返事に窮した。彼は、今日途々「貧乏はそれ自体悪だ」とさえ考えて来たのであるが、孔子に真正面からそんな問をかけられると、妙に自分の考えどおりを述べることが出来なくなった。
「君は、貧乏なころは、人にへつらうまいとして随分骨を折っていたようじゃな。そして、今では人に驕るまいとして、かなり気を使っている。」
「そうです。そして自分だけでは、そのいずれにも成功していると信じていますが……」
「たしかに成功している。それはさっきも云った通りじゃ。しかし、へつらうまい驕るまいと気を使うのは、まだ君の心のどこかに、へつらう心や驕る心が残っているからではあるまいかの。」
 子貢は、その明敏な頭脳に、研ぎすましたやいばを刺しこまれたような気がした。孔子はたたみかけて云った。
「むろん、君の云うような道を悪いとは云わない。しかし、⑦それはまだ最高の道ではないのじゃ。貧富に処する最高の道は、結局貧富を超越するところにある。君がへつらうまいとか驕るまいとか苦心するのも、つまりは貧富を気にし過ぎるからのことじゃ。貧富を気にし過ぎると、自然それによって、他人と自分とを比べて見たくなる。比べた結果がへつらい心や驕り心を生み出す。そこで、それを征服するために苦心しなければならない、ということになるのじゃ。」
 子貢は固くなって聴いているより仕方がなかった。
そこで、貧富を超越するということじゃが、それは結局、貧富を天に任せて、ただ一途に道を楽み礼を好む、ということなのじゃ。元来、道は功利的、消極的なものではない。従って、貧富その他の境遇によって、これを二三すべきものではない。道は道なるが故に楽み、礼は礼なるが故に好むと云ったような、至純な積極約な求道心があってこそ、どんな境遇にあっても自由無礙むげに善処することが出来るのじゃ。顔回にはそれが出来る。彼はさすがに賢者じゃ。そこまで行くと、貧にしてへつらわないとか、富んで驕らないとかいうことは、もう問題ではなくなる。」
「先生、よくわかりました。」
 と、子貢は、自分の未熟な考えを、みんなの前でうかうかと発表した軽率さを恥じる心と、孔子の言葉から得た新たな感激とを、胸の中で交錯させながら、こうべを垂れた。
 しばらく沈默がつづいた。
 詩を吟ずる声が、何処からか、かすかに流れて来た。子貢は、みんなの視線がまだ自分に注がれているのを感じて、少し息苦しかったが、詩吟の声に耳を澄ましている間に、ふと一つの記憶が彼の頭に蘇って来た。それは詩経の衞風篇えいふうへんに出ている「⑧」という一句であった。
 彼は、これまでこの句を、工匠が象牙や玉を刻む時の労苦にたとえて、人格陶冶の苦心を謡ったものだと解していた。むろんその解釈が誤っているというのではない。しかし彼は、この詩の中に含まれている大切な一点を見逃がしていたのである。それは工匠の芸術心であった。仕事を楽むこころであった。労苦の中に、否、労苦することその事に、生命の躍動と歓喜とを見出す心であった。芸術は手段ではない。同様に求道は処世術ではない。工匠が芸術に生きる喜びを持つように、求道者は道そのものを楽む心に生きなければならない。⑨彼はこれまで、この詩の中の、工匠の労苦だけからしか教訓を受けていなかった。何という浅薄さだったろう。
 そう考えると、彼は思わす(1)をあげて孔子を見た。そして何の作為もなく、この詩の一句が、すらすらと彼の(2)をすべり出した。彼はこの時、過去の愚昧を恥じるよりも、新しい発見のために、心を躍らしていたのである。
 吟じ終って彼は云った。
「先生のさきほどからのお話は、この詩の心ではございませんか。」
 孔子は満面に微笑をたたえながら答えた。
「子貢、いいところに気がついた。それでこそ共に詩を談ずることが出来るというものじゃ。詩の心には、奥に奥があるのじゃから、あくまで掘り下げて行くだけの熱意のある人でなくては、その真髄に達することが出来ないが、君ならそれが出来そうじゃ。」
 子貢は、つい誇らしい気持になって、うっかり一座を見廻そうとしたが、きわどいところで自制した。

1 子曰く、回やそれ庶(ちか)からんか、屡空し。賜(し)は命を受けずして貨殖す、億(おもんばか)れば則ち屡中(あた)ると。(先進篇)
2 子曰く、貧にして怨むこと無きは難く、富みて驕(おご)ること無きは易しと。(憲問篇)
3 子曰く、賢なるかな回や。一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴよう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)にあり、人はその憂に堪えず。回やその楽を改めず。賢なるかな回やと。(雍也篇)

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問1:①「このような反応」とあるが、その理由を説明しなさい。

問2:②「ソーシャル・アパルトヘイト」とあるが、その内容と原因を説明しなさい。

問3:③「なぜか息子は市の学校ランキング1位の小学校に通っていた。」とありますが、これについて、

 ⑴なぜ「私」の息子はその学校に進学することを選んだのですか。

 ⑵なぜその学校は市のランキングで一位をとっていると筆者は分析していますか。

問4:④「カトリック校以外に子どもを通わせるなどということはあり得ない。」とありますが、それはなぜですか。

問5:⑤「配偶者」とありますが、これについての説明のうち正しいものを選びなさい。

あ:「配偶者」とは「結婚相手」のことであり、この場合「妻」をさす。そのため、ここでいう「配偶者」はアイルランド人の女性である。

い:「配偶者」とは「結婚相手」のことであり、この場合「夫」をさす。そのため、ここでいう「配偶者」はフランス人の男性である。

う:「配偶者」とは「結婚相手」のことであり、この場合「妻」をさす。そのため、ここでいう「配偶者」はフランス人の男性である。

え:「配偶者」とは「結婚相手」のことであり、この場合「夫」をさす。そのため、ここでいう「配偶者」はアイルランド人の男性である。

問6:⑥「ホワイト・トラッシュ」とは誰のことを指していますか。本文中から十三文字で抜き出して答えなさい。

問7:⑦「わたしたちはふらふらと見学会に出かけてしまったのだった。」とありますが、その理由について説明している文章のうち、正しいものを一つ選びなさい。

あ:「私」は素晴らしい学校に違いないという期待感から、「息子」は今いる小学校から早く逃げ出したいという切実な理由から見学会に出かけた。

い:「私」はどんな学校か見てみたいという純粋な好奇心から、「息子」は学校を早退しても許されるという安直な理由から見学会に出かけた。

う:「私」は知り合いから届いた招待状を断りづらいという理由から、「息子」は素晴らしい学校に違いないという期待感から見学会に出かけた。

え:「私」はどんな学校か確かめてやろうというイタズラごころから、「息子」は気になる学校を調査したいという純粋な好奇心から 見学会に出かけた。

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